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ホタルに願いを込めて…… page22

last update 最終更新日: 2025-02-15 10:45:37

「釣りって、生きた虫をエサに使うんじゃないんですね。もしそうだったら、わたしどうしようかと思ってました」

「さすがに初心者の、それも女の子にいきなりそれはかわいそうだからね。明日教えるのはルアーフィッシングだよ。この時期は、イワナが釣れるはずなんだ」

「イワナかぁ。あれって塩焼きにしたら美味しいんですよね」

 実は愛美も、実際にイワナの塩焼きを食べたことがない。これは本から得た雑学である。

「そうそう! 特に釣りたては新鮮でね」

「わぁ、楽しみ! じゃあ、明日は早起きして、多恵さんと佳織さんと一緒にお弁当作りますね」

 釣りの話で盛り上がる中、愛美はあることに気がついた。

「そういえば、服とかはどこに入ってるんですか?」

 スーツケースの中には、それらしいものはほとんど入っていない(釣り用のウェアや長靴などは別として)。

「ああ、普段の服はそっちのボストンバッグの中。男の旅行用の荷物なんてそんなモンだよ」

「へぇー……」

 確かに、服や洗面用具などの〝普通の〟旅行用の荷物は少ない。けれどその代わり、彼の場合は他の荷物の方が多いともいえる。

「片付けは自分でやっとくから、愛美ちゃんは下で多恵さんたちの手伝いをしておいで」

 はい、と頷いて、愛美は一階のキッチンへ下りていく。そろそろパン作りの準備を始める頃だからだった。

   * * * *

 ――そして翌日。少し曇っているけれど、それほど暑くなく、釣りにはもってこいのお天気になった。

 愛美は純也さんと一緒に、車で千藤農園から少し離れた渓流まで、約束通りルアーフィッシングに来た。

 多少濡れてもいいように、二人ともフィッシングウェアに身を包み、ゴム長靴を履いての完全防備。……ただし、夏場にこの格好はちょっと蒸し暑い。

「――愛美ちゃん、かかってるよ! ゆっくりリールを巻きながら、タックルをちょっとずつ引き上げて」

「はいっ! ……こうですか?」

「そうそう。ゆっくりね。慌てたら逃げられるから、落ち着いて」

「はい」

 ルアーフィッシングというのは、コツをつかむまでが難しい。ルアーを本物のエサのように動かさないと、魚がかかってくれない。

 生きたエサを使う代わりに、こういう技術が必要になるのだ。

「――あっ、釣れた! 釣れましたぁ! やった!」

 それでも、愛美はそのコツをつかむのがわりと早かった。釣りを始めて一時間
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  • 拝啓、あしながおじさん。 ~令和日本のジュディ・アボットより~   ホタルに願いを込めて…… page23

    「調理は僕に任せてよ。アウトドアは好きだし、家でも自炊してるからね」 純也さんは手早く火をおこし、魚焼き用の網を用意してくれた。「ここはやっぱり、シンプルに塩焼きかな」 純也さんはそう言うと、リュックから取り出した小さなタッパーに入れてきた塩を一つまみ、網に並べた魚に振りかける。「――あ、そうだ。お弁当作ってきたんですよ。おにぎりと玉子焼きと、夏野菜のピクルス」 愛美も、提げてきた保温バッグから二人分のお弁当箱を取り出した。何だかちょっとしたピクニックみたいだ。「おっ、うまそうだね! イワナもそろそろいい感じに焼けてきたよ」 純也さんが焼けたイワナをお弁当箱に乗せてくれて、二人は豪華なランチタイム。「焼きたてでまだ熱いから、ヤケドに気をつけてね」「はい、いただきます☆ ……あっ、熱(あ)ふっ!」「ほら見ろ。だから言ったのに」 案の定、熱々の焼き魚を頬張ってハフハフ言っている愛美を見て、純也さんは楽しそうに笑った。「じゃあ、僕も頂こうかな。……ん! 美味い!」 釣りたてのイワナは、純也さんがキチンとハラワタの処理をしてから焼いてくれた。魚のハラワタの苦みが苦手な愛美も、そのおかげで美味しく食べることができた。 初めて食べたイワナの塩焼きは身にほどよく脂が乗っていて、焼くとふっくらして美味しい。純也さんが言った通り、シンプルな味付けが一番素材の味を引き立たせている。「この玉子焼きも美味しいね。多恵さんの味だ」「……それ作ったの、わたしです」「ええっ!? ……いや、多恵さんの味そのまんまだよ。驚いたな」 純也さんは愛美の料理の腕――というか再現度の高さに舌を巻いた。「そんなに驚かなくても……。でも何より、こんなに空気の美味しい場所で食べられることが、一番のごちそうですよねー」 昼食を平らげた愛美は、その場で伸びをした。 「うん、そうかもしれないな。何年ぶりだろう、こんなにのんびりできたの」 純也さんはしみじみと言う。 彼は普段、東京という大都会で時間に追われた生活を送っている。経営者には経営者なりの忙しさというものがあるんだろう。「――あ、そういえば。去年の夏、わたし屋根裏部屋で、純也さんが子供の頃に好きだった本を見つけたんです」 四月に寮に遊びに来てくれた時にも、五月に原宿へ行った時にも、純也さんに屋根裏部屋の話はし

    最終更新日 : 2025-02-15
  • 拝啓、あしながおじさん。 ~令和日本のジュディ・アボットより~   ホタルに願いを込めて…… page24

    「うわ……。愛美ちゃん、見せなくていいって! なんか恥ずかしいから!」「そうですかぁ? でもわたしにとっては、コレも純也さんの大事な成長の記録です。純也さんにもこんな時代があったんだなーって思ったら、楽しくて」 黒歴史を暴露されたようで、慌てふためく純也さん。でも、愛美が楽しそうに話すので、彼女の笑顔を見るといとおしそうに目を細める。「……まぁいいっか。――その本、面白いだろ? 愛美ちゃんも気に入ってくれてよかった。僕が読書好きになった原点だからね」「はい。何回読んでも飽きないです。わたしもこんな小説が書けるようになりたいな。……あ」「……ん?」「わたし、文芸誌の公募に挑戦することにしたんです。で、短編を四作書いたんですけど、どれを応募しようか迷ってて……。純也さん、読んで感想を聞かせて下さいませんか? それを参考にして、応募作品を決めたいんで」「いいけど、僕はけっこう辛口だよ?」 ――なるほど、珠莉の言っていたことは正しいようだ。やっぱり純也さんの批評は厳しいようである。「……分かってます。でも、できる限りお手柔らかにお願いしたいな……と」「了解。できる限り……ね」 純也さんはニッコリ笑った。けれど、ちょっと怖い。(どうか全滅だけはまぬがれますように……!) 一応、自分の文才は信じている愛美だけれど、ここは祈るしかなかった。書き手が「面白い」と思う作品と、読み手が「面白い」と感じる作品が必ずしも同じとは限らないのだ。「――あ、そうだ。ホタルはいつ見に行く?」「えっ、ホタル?」 愛美は戸惑った。彼との電話でもメッセージのやり取りでも、一度もその話題には触れたことがなかったのに。強いて言うなら、春に彼と寮の部屋でお茶会をした時、「好きな人と見たい」と言ったくらいだった。 〝あしながおじさん〟への手紙には、確かに「純也さんとホタルが見たい」と書いたことがあったけれど。どうしてそのことを、彼が知っているんだろう……?「あー……、えっと。……田中さん! そうだ、田中さんから聞いたんだよ! 愛美ちゃんが僕とホタルを見たがってるってね」「ああ、おじさまから聞いたんですね。なるほど。そういうことならぜひ一緒に見に行きたいです」「じゃあ見に行こう。えーっと、今夜の天気は……」 純也さんがスマホで天気予報を検索し始めたので、愛美もそれに倣(

    最終更新日 : 2025-02-15
  • 拝啓、あしながおじさん。 ~令和日本のジュディ・アボットより~   ホタルに願いを込めて…… page25

       * * * * ――翌日。この日は朝からよく晴れていて、暗くなってからもそのいいお天気は続いていた。「わあ! キレイな星空……。ここから手を伸ばしたらつかめそう」 ホタルが見られるという川辺まで歩いていく途中、愛美は満天の星空に歓声をあげた。 一年前にもこの土地で同じように星空を眺めたけれど、今年の夏は好きな人と一緒。だからキレイな星もより光り輝いて見える。「ホントだね。僕もこんなにキレイな星空、久しぶりに見たな」 純也さんも頷く。 東京ではこんなにキレイな星空は見えないだろうし、仕事に忙殺されていたら星空を見上げる心のゆとりもないのかもしれない。 ――そして、愛美はこの時、ちょっとしたオシャレをしていた。(純也さん、気づいてくれるかな……?) 原宿の古着店を回って買った、ブルーのギンガムチェックのマキシ丈ワンピースに白い薄手のカーディガン。――愛美は小柄なので、サイズが合うものがなかなか見つからなくて苦労したのだ。 足元はこれまた古着店で見つけた、ブルーのサンダル。少しヒールが高いので、若干歩きにくい。でも身長が高い純也さんに釣り合うように、どうしても履きたかった。「――あれ? 愛美ちゃん、その服って原宿で買ってたヤツだよね?」(やった! 純也さん、気づいてくれた!) 愛美は天にも昇るような気持ちになったけれど、それをあえて顔には出さずにはにかんで頷く。「はい。気づいてました? ……どうですか?」「可愛いよ。よく似合ってる。愛美ちゃんは自分に似合う服がよく分かってるんだな。いつ見てもセンスいいよね」「え……。そんなことないと思いますけど」 愛美は謙遜した。「センスがいい」なんて言われたのは初めてだ。 ただ自分の好きな色や、この低い身長に合う服を選んだら、たまたま似合うだけなのだ。「そういう控えめなところも可愛いんだよなぁ、愛美ちゃんは」「…………」 愛美はリアクションに困った。純也さんは時々、真顔でこんなキザなことを言ってのけるのだ。しかも、それが全然イヤミにならないのだ。「…………。もうそろそろ着くかな」「……そうですね」 なんとなく純也さんの方が気まずくなったと感じたのか、彼は取ってつけたようにごまかした。 それから一分くらい歩くと、街灯ひとつない暗い川辺に人だかりができている。「わぁ、スゴい人……

    最終更新日 : 2025-02-15
  • 拝啓、あしながおじさん。 ~令和日本のジュディ・アボットより~   ホタルに願いを込めて…… page26

    「キレイ……! 純也さん、ホタルってこんなにキレイなんですね……」 あちらこちらで、黄色くて淡い光がすぅーっと飛び交っていて、明かりのないこのエリアを儚(はかな)げに照らしている。「知ってる? ホタルって、亡くなった人の魂(たましい)が生まれ変わったものだって言われてるんだ」「はい。何かの本で読んだことがある気がします」 だからホタルの寿命は短くて、その命は儚いのかもしれない。「もしかしたらこの中に、君の亡くなった両親もいるかもしれないね」「純也さん……。うん、そうかもしれませんね」 今からここで純也さん(好きな人)に想いを伝えようとしている我が子の背中を押すために、彼らはここにいるはずだ。(……告白するなら今だ! 今なら言えるかもしれない) そして、彼の優しさに心動かされた愛美は、繋いだ手に少し力を込めた。「……? 愛美ちゃん?」「――純也さん、わたし……。あなたのことが好きです。出会った時から、初めて話をしたあの時からずっと」 途中で一度ためらって、それでも最後まで言葉を紡(つむ)いだ。 初めての告白だし、ちゃんと伝えられたかどうかは分からない。ちゃんとした告白になっているかどうかも分からない。でも、今の彼女に言える精一杯の気持ちを言葉にした。 「純也さん……?」 彼の顔を直視できずに(というか、ヒールを履いているとはいえ四十センチ近くもある身長差のせいで見えないのだ)告白したけれど、彼からの返事が早く聞きたくて、愛美はもう一度呼びかけてみる。「僕も好きだよ、愛美ちゃん」「…………えっ?」 彼の表情が見えない。聞き間違いかと思い、愛美は訊き返す。「好きなんだ。君と初めて言葉を交わしたあの時から……多分ね」 すると純也さんは、今度は愛美の目をまっすぐ見てはっきり言った。「好きだ」と。「ホントに?」「ホントだよ。僕がこんなことでウソつける男かどうか、愛美ちゃんも知ってるだろ?」「それは……知ってますけど。だってわたし、十三歳も年下で、まだ未成年ですよ? それに、姪の珠莉ちゃんの友達で――」「それでもいい。好きなんだ。だから、僕と付き合ってほしい」 愛美はまだ信じられなくて、純也さんが断りそうな理屈を引っぱり出してみたけれど、それでも彼は引かなくて。 でも、愛美に断る理由なんてひとつもない。彼が自分の想いを受け止

    最終更新日 : 2025-02-15
  • 拝啓、あしながおじさん。 ~令和日本のジュディ・アボットより~   疑いから確信へ page1

      ――純也さんとの恋が実った夜。愛美は自分の部屋で、スマホのメッセージアプリでさやかにその嬉しい報告をしていた。『さやかちゃん、わたし今日、純也さんに告白したの! そしたら純也さんからも告白されてね、お付き合いすることになったの~~!!!(≧▽≦)』「……なにコレ。めっちゃノロケてるよ、わたし」 打ち込んだメッセージを見て、自分で呆れて笑ってしまう。『っていうか、純也さんはもうわたしと付き合ってるつもりだったって!  さやかちゃんの言ってた通りだったよ( ゚Д゚)』 愛美は続けてこう送信した。二通とも、メッセージにはすぐに既読がついた。 ――あの後、千藤家への帰り道に、純也さんが自身の想いを愛美に打ち明けてくれた。   * * * *『実はね、僕も迷ってたんだ。君に想いを伝えていいものかどうか』『……えっ? どうしてですか?』 愛美がその意味を訊ねると、純也さんは苦笑いしながら答えてくれた。『さっき愛美ちゃんも言った通り、君とは十三歳も年が離れてるし、周りから「ロリコンだ」って思われるのも困るしね。まあ、珠莉の友達だからっていうのもあるけど。――あと、僕としてはもう、君とは付き合ってるつもりでいたし』 『えぇっ!? いつから!?』 最後の爆弾発言に、愛美はギョッとした。『表参道で、連絡先を交換した時から……かな。君は気づいてなかったみたいだけど』『…………はい。気づかなくてゴメンなさい』 さやかに言われた通りだった。あれはやっぱり、「付き合ってほしい」という意思表示だったのだ!『君が謝る必要はないよ。初恋だったんだろ? 気づかないのもムリないから。こんな回りくどい方法を取った僕が悪いんだ。もっとはっきり、自分の気持ちを伝えるべきだったんだよね』『純也さん……』『でも、愛美ちゃんの方が潔(いさぎよ)かったな。自分の気持ちをストレートにぶつけてくれたから』『そんなこと……。ただ、他に伝え方が分かんなかっただけで』『いやいや! だからね、僕も腹をくくったんだ。年齢差とか、姪の友達だとかそんなことはもう取っ払って、自分の気持ちに素直になろうって。なまじ恋愛経験が多いと、余計なことばっかり考えちゃうんだよね。だからもう、初めて恋した時の自分に戻ろうって』 純也さんだってきっと、自分から女性を好きになったことはあるんだろう。

    最終更新日 : 2025-02-15
  • 拝啓、あしながおじさん。 ~令和日本のジュディ・アボットより~   疑いから確信へ page2

       * * * * そんなやり取りを思い出しながら、愛美は幸せを噛みしめていた。 すると、さやかからメッセージの返信が。『やったね! 愛美、おめ~~☆\(^o^)/ っていうかノロケ? コレ聞かされたあたしはどうしたらいいワケ??(笑)』 「さやかちゃん……、ゴメン!」 文面からは、さやかが喜んでいるのか(これは間違いないと思うけれど)怒っているのか、はたまた困っているのか読み取れない。 でも夏休み返上で寮に残って部活に励んでいる彼女には、ちょっと面白くなかったかも……と思ったり思わなかったり。「あとで電話した方がいいかも」 こういう時は文字だけのメッセージよりも、電話で生の反応を聞いた方が分かりやすい。「――そういえば純也さん、まだ起きてるのかな」 愛美はスマホで時刻を確認してみた。九時――、まだ寝るのには早い時間だ。 帰ったら小説を読ませてほしい、と純也さんは言っていた。もしかしたら、起きて待っていてくれているかもしれない。 辛口の批評はできれば聞きたくないけれど、「彼に自分の原稿を読んでもらえるんだ」という嬉しい気持ちもまぁなくもない。ので。「緊張するけど、約束だし。早い方がいいもんね」 愛美は書き上がっている四作分の短編小説の原稿を持って、リラックスウェアのまま部屋を出た。そして、純也さんのいる隣りの部屋のドアをノックする。「はい?」「あ……、愛美です。今おジャマして大丈夫ですか?」「大丈夫だよ。入っておいで」 純也さんの許可が出たので、愛美は「おジャマしまーす」と言いながら室内へ。 彼はノートパソコンを開いて、何やら険しい表情をしていたけれど、愛美の顔を見ると笑顔になってパソコンを閉じた。「ゴメンなさい。お仕事中でした?」「いや、今終わったところだよ。急ぎの件があったから、メールで指示を出してたんだ。――ところで、どうしたの?」「小説を読んでもらおうと思って。約束だったから」 愛美は大事に抱えていた原稿を、彼に見えるように掲(かか)げて見せた。原稿はひとつの作品ごとにダブルクリップで綴じてあって、一枚ずつ通し番号も振ってある。「ああ、そうだったね。……ところでさ、女の子がこんな夜に、男の部屋に来るってことがどういう意味か分かってる? しかも、そんな無(む)防(ぼう)備(び)な格好で」「…………えっ?」

    最終更新日 : 2025-02-15
  • 拝啓、あしながおじさん。 ~令和日本のジュディ・アボットより~   疑いから確信へ page3

    「……なんてね、冗談だよ。からかってゴメン! そうやってあたふたする愛美ちゃんが可愛いから、つい」「~~~~~~~~っ! もうっ!」 愛美はからかわれたと知って、あたふたした自分が恥ずかしくなった。この「もう!」は純也さんにではなく、自分自身に対してである。「とにかく座りなよ。っていっても、ベッドしか座る場所ないけど」「え…………」 まだ警戒心が解けない愛美は、座るのをためらったけれど。「大丈夫だって。僕は紳士だから。何もしないから安心して」「……はい」 愛美は「ホントかなぁ?」と訝(いぶか)りつつ、シンプルなベッドに腰を下ろした。実はけっこう根に持つタイプなのだ。「――じゃあ、原稿読ませて」「はい」 純也さんが手の平を見せたので、愛美は原稿を全部彼に手渡した。「ありがとう。どれどれ……」 原稿に目を通し始めた彼を、愛美は固唾(かたず)をのんで見守る。 もし全滅だったら……と思うと、何だかソワソワして落ち着かない。「……あの。下のキッチンでカフェオレでも淹れてきましょうか?」 読んでもらっている相手に気を利かせて、というよりは、この緊張感から少しの間でも離れていたくて、愛美は提案した。「ありがとう。そうだな……、全部読み終わるまでには時間かかりそうだし。愛美ちゃんもここにいたって落ち着かないよね」 そんな愛美の心境を察して、純也さんは「じゃあ頼むよ」とその提案に乗ってくれた。 ――十分後。愛美は二人分のマグカップとクッキーのお皿が載ったお盆を手にして、純也さんの部屋に戻ってきた。「カフェオレ淹れてきました。どうぞ」 愛美の声に気づき、純也さんは原稿から顔を上げた。「ありがとう、愛美ちゃん。ちょっと待って」 彼はアウトドア用品の詰め込まれたスーツケースから、折り畳み式の小さなテーブルを出して室内に設置してくれた。「お盆はここに置きなよ」 愛美がそこにお盆を置くのを見ながら、彼は何やら考え込んでいる。「うーん……、この部屋にはテーブルも必要だな」「そうですよね……」 愛美も頷く。たまたま純也さんがアウトドア用のテーブルを持ち込んでいたからよかったものの、やっぱりテーブルはないと不便だ。「よし。東京に帰ったら、家具屋で小さなテーブルを買ってこっちに送るとしよう」 けっこう真剣に純也さんが言うので、愛美は吹き出し

    最終更新日 : 2025-02-15
  • 拝啓、あしながおじさん。 ~令和日本のジュディ・アボットより~   疑いから確信へ page4

     愛美はしばらくカーペットの上に座り、クッキーをつまみながらカフェオレをすすって、原稿を読む純也さんの姿を見ていたけれど。何となく手持ち無沙汰になってしまった。 スマホは自分の部屋に置いてきたし……。「――ねえ純也さん。まだかかりますよね?」「うん、多分ね。どうして?」 原稿から目を離さず、純也さんが答える。「ちょっと、さやかちゃんに電話してこようかと思って。――いいですか?」「いいよ。行っておいで」「じゃあ……、ちょっと失礼して。そんなに長くはかからないと思います」 ――愛美は自分の部屋に戻ると、スマホでさやかに電話をかけた。『ああ、愛美。メッセージ見たよ』「うん、知ってる、ちゃんと返信来てたし。――今大丈夫? もうすぐ消灯でしょ?」『大丈夫だよ。長電話しなきゃね』 それなら大丈夫だと、愛美は返事をした。そんなに長々とするような話でもないし。「あのね、さやかちゃん。……もしかして、怒ってる?」『はぁ? 別に怒ってないよ。なんで?』「なんか、さっきもらった返事が……。なんていうか、『リア充爆発しろ!』的な感じだったから。ちょっと違うかもしんないけど」 愛美がそう言うと、さやかはギャハハと笑い出した。『違うよー。あたし、マジで嬉しかったんだから。愛美の初恋が実って、親友としてめっちゃ嬉しかったんだよ。それはアンタの考えすぎ』「ああ、なんだ。よかったぁ。でも、やっぱりさやかちゃんの言う通りだったね」『純也さんがもう告ったも同然だってハナシ? だって、見りゃ分かるもん。純也さん、愛美にゾッコンだったじゃん。……あれ? アンタは気づかなかったの?』「……うん、あんまり。そうじゃないかって薄々思ったことはあるけど、わたしの思い過ごしだと思ってたから」 全然、といったらウソになる。でも、自分に限って……と考えないようにしていたというのが本当のところで。『おいおい、アンタどんだけ自分に自信ないのよ。誰が見たって純也さんの態度は、好き好きオーラ出まくってたって』「…………う~~」『んで? 両想いになってどうした? もうキスとかしちゃってたり?』「まだしてないよ! さやかちゃん、面白がってない?」 〝まだ〟は余計だったかな……と思いつつ、愛美はさやかに噛みついた。……まあ、純也さんはいきなりがっついてくるような人じゃないと思うけれ

    最終更新日 : 2025-02-15

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  • 拝啓、あしながおじさん。 ~令和日本のジュディ・アボットより~   わかば園と両親の死の真相 page4

    「……お二人とも、聞こえてるんだけど」「あっ、ゴメン!」「こっちの話は気にしないで、読む方に集中して?」 さやかと愛美が謝り、そう言うと、珠莉はひとつため息をついた後にまた画面に視線を戻した。「集中して」と言ったって、ムリな話ではあると思うのだけれど――。 ――それから一時間ほど後。「愛美さん、読み終わりましたわよ」 珠莉がパソコンの画面を閉じて、愛美に声をかけてきた。「えっ、もう読んだの!? 早かったね」 あの小説は原稿用紙三百枚分ほどの長さがあるので、じっくり読み進めると読み終えるまで二時間以上はかかるはずだ。ということは、珠莉は読むスピードを速めたということになる。「ええ、愛美さんが私からのアドバイスを待ってると思って、急いで読んだのよ。――それでね、愛美さん。この小説で私が感じたことなんだけど」「うん。どんなことでも大丈夫だから、忌憚なく言って」「じゃあ、述べさせてもらうわね。――私の感じたことを率直に言わせてもらうと、やっぱりこの小説の中からは、あなたのセレブに対する苦手意識というか偏見というか、そういうものが読み取れたの。出版に至らなかった理由はそこなんじゃないかしら」「あー、やっぱりそうか。編集者さんからも同じこと言われたんだ」 書籍として流通するということは、この小説が多くの人の目に触れるということだ。読んだ人の中には気分を害する人も出てくるかもしれない。プロとして、そういう内容の本を世に送り出すわけにはいかないと判断されたのだろう。 もしこの小説を珠莉ではなく、純也さんに読んでもらったとしても、きっと同じことを言われたに違いない。「『出版できない』って聞かされた時はショックだったけど、これで納得できたよ。ありがとね、珠莉ちゃん」 これで、初めての挫折からはすっかり立ち直ることができそうだ。愛美はもう前を向いていた。「いえいえ、私でお役に立ててよかったわ。でもあなた、思ったより落ち込んでいないみたいね」「そういやそうだよねー。『ヘコんだ」って言ったわりにはけっこう前向いてるっていうか」「うん。もうわたしの意識は次回作に向いてるから。いつまでも落ち込んでられないもん」 二年前の愛美なら、いつまでもウジウジ悩んでいただろう。でも、もうネガティブな愛美はいない。純也さんに釣り合うよう、いつでも自分を誇れる人間でいた

  • 拝啓、あしながおじさん。 ~令和日本のジュディ・アボットより~   わかば園と両親の死の真相 page3

    「ええ、いいわよ。私でよければ。とりあえず着替えさせてもらうわね。それからでもいいかしら?」「あ、うん。もちろんだよ。ありがと。なんかゴメンね、帰ってきたばっかりなのに」「いいのよ、愛美さん。謝らなくてもよくてよ」「ありがとねー、珠莉。アンタと愛美、すっかり仲良くなったよね。最初の頃はさぁ、愛美に『叔父さま盗(と)られた~!』とか言ってたのに」 さやかは二年以上も前の話を持ち出して、二人の関係がすっかり変わったことに感心している。あれはこの高校に入学した翌月で、純也さんが初めて学校を訪ねてきた時のことだ。 それに対して、珠莉が制服から私服に着替えながら答える。「あの頃はまだ、純也叔父さまが愛美さんのいう〝あしながおじさま〟の正体で、お二人が恋人同士になるなんて思ってもみなかったもの。本当に、人生って何が起こるか分からないものよね」「うん……、ホントにね」 珠莉の最後のセリフに愛美も頷いた。純也さんが〈わかば園〉の理事をしていなければ、理事であったとしても愛美の学費を援助すると申し出てくれなければ、彼女は今この場にいなかったのだ。山梨県内の公立高校で、悶々とした高校生活を送っていただろう。もしくはどこかの温泉旅館で住み込みの仲居さんとして働いていたとか。「――はい、お待たせ。着替え終わったから原稿を読ませてもらうわ。データは残してあるのね?」「うん。わたしのPCのデスクトップと、一応USBにも保存してあるよ。待ってね、今ファイル開くから」 愛美は自分のノートパソコンで、ボツになった原稿のファイルを開いた。「これがその小説だよ」「分かったわ。じゃあ、ちょっと失礼して」 珠莉は愛美に場所を譲ってもらい、ブルーライトカットのためにPC用の眼鏡(メガネ)をかけて小説の原稿を読み進めていった。「……珠莉ちゃんって普段は眼鏡かけないけど、たまにかけるとすごく知的に見えるよね」「顔立ちのせいなんじゃない? あたしが眼鏡かけてもああはならないよ。あたし、上向きの団子っ鼻だからさ」 珠莉が真剣な眼差しで原稿を読み進める傍(はた)で、愛美とさやかはヒソヒソと彼女の意外なギャップを発見して盛り上がっていた。愛美に至っては、彼女の頼みごとをした本人だというのに……。

  • 拝啓、あしながおじさん。 ~令和日本のジュディ・アボットより~   わかば園と両親の死の真相 page2

    「あ、愛美。おかえり。――どうした? なんかちょっと元気ないじゃん?」「うん……。さやかちゃん、鋭い。ちょっとね、ヘコんじゃう出来事があって」「もう友だちになって三年目だよ? 元気がないのは見りゃ分かるって。今日は編集者さんと会ってたんだっけ。じゃあ、作家の仕事絡み?」「正解。詳しい話は珠莉ちゃんが帰ってきてからするけど、長編の原稿がボツ食らっちゃってね」「えっ、ボツ!? 長編ってあれでしょ、冬からずっと頑張って書いてて、夏休みの間に書き上げたっていう、純也さんが主人公のモデルだった」「うん、そうなの。あれ」 さやかがズバリ、どんな作品だったか言い当てて愛美も頷いたけれど、さすがに純也さんが主人公のモデルだったという情報まで言う必要はあっただろうか?「う~ん、そっかぁ……。珠莉、部活は五時までだったと思うから。帰ってきたら一緒に話聞いてもらおう。珠莉の方が、あの小説のどこがダメだったか分かると思うんだ」「そうだね。わたしもそう思ってた」 一応は社長の娘だけれど庶民的なさやかより、生まれながら名家のお嬢さまである珠莉の方が、ダメ出しのポイントが適格だと思う。何せ、モデルは彼女の血の繋がった叔父なのだから。 それから三十分ほどして、部活を終えた珠莉が部屋に帰ってきた。「――ただいま戻りました」「珠莉ちゃん、おかえり。部活お疲れさま」「珠莉、おかえりー。何かさあ、愛美が聞いてほしい話があるんだって」 珠莉がクローゼットにスクールバッグをしまうのを待ってから、二人は彼女に声をかけた。 彼女は最近、週末は雑誌の撮影で忙しいけれど、平日の放課後はまだ部活があるので撮影は入っていないらしい。こちらも学業優先なのだ。「――愛美さん、私に聞いてほしい話ってなぁに?」「えっと、わたしが冬休みから長編小説を書いてたこと、珠莉ちゃんも知ってるよね? ……純也さんが主人公のモデルの」「ええ、知ってるわよ。夏休みの間に書き上がって、編集者さんにデータを送ったらしいってさやかさんから聞いたけど。あれがどうかして?」「実はね、あの小説、ボツになっちゃったの。今日、編集者さんから『あれは出版されないことになった』って聞いて。でね、どういうところがダメだったのか、珠莉ちゃんに読んで指摘してもらえたらな、って思ったんだけど……」 珠莉はプロの編集者ではないので、

  • 拝啓、あしながおじさん。 ~令和日本のジュディ・アボットより~   わかば園と両親の死の真相 page1

    「――そうだ! 次回作は〈わかば園〉のことを題材にして書こう」 自分が育ってきた、よく知っている場所のことなら書いていてリアリティーもあるし、作品に説得力を持たせることもできる。当然のことながら、主人公のモデルは愛美自身だ。「よし、次回作はこれで決定! 今年の冬休み、久しぶりに〈わかば園〉に帰って園長先生とか他の先生たちに話聞かせてもらおう」 愛美の記憶にあることはまだいいけれど、憶えていない幼い頃のことや、愛美が施設にやってきた時のことは園長先生から話を聞かなければ分からない。――それに、愛美の両親のことも。(わたし、お父さんとお母さんが小学校の先生で、事故で亡くなったってことしか知らないんだよね。どんな両親で、どんな事故で命を落としたのか知りたいな) 施設で暮らしていた頃は、まだ幼くて話しても分からないから教えてくれなかったんだろう。でも、愛美も十八歳になって、世間では一応〝大人〟なのだ。今ならどんな話を聞かされても理解できると思う。それがたとえどんなに残酷な話でも、聞く覚悟はできているつもりだ。「……うん、大丈夫。わたしはもう大人なんだから、どんな話を聞いても怖くない」 愛美は決意を新たにしたことで、自身の初めての挫折とも向き合うことを決めた。「今回ボツになったこと、報告しないわけにはいかないよね……」 もちろん〝あしながおじさん〟に、である。ガッカリされるかもしれない。けれど、失望はされないと思う。だって、純也さんはそんなに冷たい人ではないから。「でも、慰められるのもまたツラいんだよね。そこのところは手紙で一応釘を刺しとくか」 部屋に帰ったら〝おじさま〟宛てに手紙を書こう。そう決めて、愛美は寮の玄関をくぐった。「――相川さん、おかえりなさい」「ただいま戻りました。あ~、晴美さんとこうして話せるのもあと半年足らずかと思うと淋しいです」 寮母の晴美さんと挨拶を交わせるのも、高校卒業までだ。大学に進めば寮を変わらなければならないので、当然寮母さんも違う人になる。「私も淋しい~! でも、寮母として寮生の巣立ちを送り出さなきゃいけないから。毎年淋しく思いながら、断腸の思いでそうしてるのよ」「そうなんですね。あと半年、よろしくお願いします」 晴美さんにペコッと頭を下げてから、愛美はエレベーターで四階へ上がった。角部屋の四〇一号室が、三

  • 拝啓、あしながおじさん。 ~令和日本のジュディ・アボットより~   仲直りと初めての挫折 page8

    「……あの、ボツになった理由は?」「あの作品、セレブの世界を描いてますよね? その描写が不十分というか、かなり不適切な描写があったと。先生個人の偏見のようなものが含まれていたようなんです」「ああ~、そう……ですよね。わたし、実は一部の人たちを除いてセレブの人たちって苦手で。冬休み、セレブのお友だちの家で過ごしていた時に色々と取材したんですけど。その時もあまりいい印象は持てなかったです」 純也さんとデートした日のこと以外にも、愛美はあの家に出入りしている富裕層の人たちを観察したり、クリスマスパーティーの時に感じたことも小説の中に織り込んでいた。多分、それが原因だろう。「なるほど……。冬休みといえば二週間くらいですか。富裕層の人たちのことを正しく描写しようと思えば、その程度の日数では足りなかったんでしょう」「ですよね……」 愛美はすっかりヘコんでしまい、大きくため息をついた。(わたしってホントは才能ないのかな……。純也さんの買い被りすぎ? だったら、彼にムダなお金使わせちゃっただけかも)「先生、そんなに落胆しないで。今回は残念な結果でしたけど、次回作でいい作品をお書きになればいいんです。先生はまだ高校生ですし、先生の作家人生はまだ始まったばかりなんですから。焦らず、じっくりといい作品を送り出していきましょう。僕も協力を惜しみませんから」「はい……、そうですね。次回作は頑張ってみます」  ――愛美持ちで会計を済ませて岡部さんと別れた後、愛美は自分でも悪かったところを反省してみた。(岡部さんに原稿を送る前に、珠莉ちゃんにデータを送って読んでもらえばよかったかな。珠莉ちゃんなら何か的確なアドバイスをくれたかも) 愛美にとっていちばん身近なセレブが珠莉である。彼女に最初の読者になってもらえば、「ここがよくない」とか「ここはこういう書き方の方がいい」とか助言してもらえて、もっといい作品になったはず。そうすればボツを食らうこともなかったかもしれない。(……まあ、〝たられば〟言いだしたらキリがないし、もう終わったことだからどうしようもないんだけど) 済んでしまったことを悔やむより、前に進むことを考えなければ。「次回作……、どうしようかな」 寮への帰り道、悩みながら歩いていた愛美の頭を不意によぎったのは、彼女が中学卒業まで育ってきたあの場所のことだっ

  • 拝啓、あしながおじさん。 ~令和日本のジュディ・アボットより~   仲直りと初めての挫折 page7

       * * * * それから数週間後の放課後。この日は文芸部の活動はお休みだったので、短編集のゲラの誤字・脱字などのチェックを終えた愛美は学校の最寄駅前にあるカフェに担当編集者の岡部さんを呼び出した。「――はい。相川先生、お疲れさまでした。これでこの短編集『令和日本のジュディ・アボットより』は無事に発売される運びとなります」「よろしくお願いします。わたしも発売日が待ち遠しいです」 愛美は確認を終えたゲラを大判の封筒に入れる岡部さんに、改めてペコリと頭を下げた。 ゲラの誤字や脱字を赤ペンで修正していく作業は初めてだったけれど、思いのほか少なかったので楽しくこなすことができた。あとは一ヶ月後、本屋さんの店頭に並ぶ日を待つだけだ。(純也さん、聡美園長とか施設の先生たちにも宣伝してくれたかな。もちろん自分では買って読んでくれるだろうけど) 彼は〈わかば園〉を援助してくれている理事の一人でもあり、あの施設の関係者で愛美の書いた本がもうじき発売されることを前もって知っているのも彼だけなのだ。彼ならきっと、園長先生にはそれとなく報告しているだろうけれど。 (どうせなら、立て続けに二冊発売される方が園長先生や他の先生たちも、もちろん純也さんも喜んでくれるだろうな……)「――ところで岡部さん、わたしの長編の方はどうなりました? データを送ってから一ヶ月以上経ってると思うんですけど」 そろそろ出版するかどうかの決定が下される頃だろうと思い、愛美は岡部さんに訊ねてみたのだけれど……。「…………すみません、先生。それがですね……、あの作品は残念ながら出版できないということになってしまいまして。つまり、ボツということです」「えっ? ボツ……ですか」 彼の返事を聞いて、愛美は目の前が真っ暗になった気がした。岡部さんはあれだけ作品を褒めてくれたのに、熱心にアドバイスまでくれて、書き上がった時にはものすごく喜んでくれたのに……。(なのに……ボツなんて)「だって、岡部さん言ってたじゃないですか。『これは間違いなく出版されるはずです』って」「いえ、僕はあの作品を気に入ってたんですけど……、上が『ダメだ』というもので。僕も本当に残念だとは思ってるんですが、まぁそそういう次第でして」「そんな……」 岡部さんもガッカリしているのだと分かったのがせめてもの救いだけれど

  • 拝啓、あしながおじさん。 ~令和日本のジュディ・アボットより~   仲直りと初めての挫折 page6

     彼も反省してたんだって知って、わたしは彼を許してあげることにしました。やっぱり彼のことが好きだから、仲違いしたままでいるのはつらかったの。仲直りできてよかったって思ったのと同時に、どうしてもっと早くできなかったんだろうとも思いました。フタを開けてみたら、こんなに簡単なことだったのに。 純也さんに、この秋に発売されることが決まってる短編集の売り込みもバッチリしておきました(笑) わたしが作家になって記念すべき一冊目の本だもん。ぜひとも読んでもらいたくて。 純也さんは今、まだオーストラリアにいるそうです。あと二、三日したら帰国するって言ってましたけど。 日本とオーストラリアには時差は一時間くらいしかないけど、あっちは南半球なので季節が真逆だっていうのが面白いですね。「こっちは寒さが厳しいから、早く日本に帰りたいよ」って彼は言ってました。帰ってきたらきたで、こっちはまだ残暑が厳しいからあんまり過ごしやすくないけど。そういえば、オーストラリアってクリスマスシーズンは真夏だから、サンタクロースがトナカイの引く雪ゾリじゃなくてサーフボードに乗って登場するんだっけ。 付き合ってる以上、純也さんとはこれから先もケンカするかもしれないけど、今回のことを教訓にして早く仲直りできるようにしようと思います。どっちかが折れなきゃいけない時には、なるべくわたしが折れるようにしたい。純也さんだって、そんなに無茶なことを言わないと思うから。 もうすぐ、編集者の岡部さんがさっき話した短編集のゲラ稿を持ってくるはず。そしたら、いよいよ商業作家としてのお仕事が本格的に始まります。長編の方はデータを送ったきり、まだ連絡はありません。今ごろ出版会議の真っ只中ってところかな。どうか出版が決まりますように……!   かしこ八月三十一日           いよいよ商業デビューする愛美』****(純也さんがこの手紙を読むのは日本に帰国してからだろうな……。どうか、あの小説の出版が決まりますように!) だってあれは愛美が初めて執筆に挑戦した長編小説で、本として世に出るために書いていたのだから。自分でも、もしかしたら大きな賞とか本屋大賞が取れるんじゃないかと思うほどよく書けたという自負がある。 ――ところが、世間はそう甘くなかった。

  • 拝啓、あしながおじさん。 ~令和日本のジュディ・アボットより~   仲直りと初めての挫折 page5

    ****『拝啓、あしながおじさん。 お元気ですか? わたしは今日も元気です。 今日、さやかちゃんと一緒に〈双葉寮〉に帰ってきました。明日から二学期が始まります。 今年の夏休みも、ワーカーホリックの中学校の宿題はバッチリ終わらせました! さやかちゃんも。 珠莉ちゃんはこの夏、モデルオーディションを何誌も受けて、ついにファッション誌の専属モデルに合格したそうです! わたしに続いて、珠莉ちゃんも夢を叶えたんだって思うと、わたし嬉しくて! 二学期には自分の進路を決めなきゃいけないから、多分一学期までより学校生活も忙しくなりそう。わたしは作家のお仕事もあるから、他の子たち以上に大変だと思う……! でも、わたしと珠莉ちゃんはもう進学する学部を決めてるからまだいい方かな。問題はさやかちゃん。まだ福祉学部にするか、教育学部にするかで迷ってるみたい。わたしは彼女がどっちを選んでも、全力で応援してあげたいと思ってます。 ところでおじさま、聞いて下さい。わたし今日、やっと純也さんと仲直りできたの! 実は夏の間ずっと、彼といつ仲直りしたらいいのかタイミングをうまく掴めずにいて、わたしも気にしてたの。  確かに七月のケンカでは、わたしにヒドいことをさんざん言った彼の方が大人げなくて悪かったけど、わたしもちょっと意固地になりすぎてたのかなって反省したの。「メッセージを既読スルーしてやる」とは思ってたけど、彼からはまったく連絡が来なくて、だからってわたしから連絡するのもなんかシャクで。 でも、やっぱり仲直りしたいなと思ってたタイミングで、おじさまにも話した彼からのあの上から目線のメッセージが来て。わたしはさやかちゃんのご実家に行くことにしたから、その時にも仲直りはできなくて。 で、今日思いきって彼にメッセージを送ってみたの。電話にしなかったのは、彼がオーストラリアにいるってメッセージを送ってきてたからっていうのと、電話で話すのは正直まだシャクだったっていうのもあって。そしたらすぐに既読がついて、彼から電話してきてくれたの。 純也さん、「大人げないのは自分の方だった。ごめん」ってわたしに謝ってくれました。彼はわたしの自立心とか向上心が本当は好きだけど、同時に自分に甘えてくれなくなるんじゃないかって、それを淋しく感じてたみたい。「男ってバカだろ?」って言って笑ってました。

  • 拝啓、あしながおじさん。 ~令和日本のジュディ・アボットより~   仲直りと初めての挫折 page4

    「……純也さんは今、まだオーストラリアにいるの?」『うん。こっちは今、冬の終わりって感じかな。でも寒さが厳しくてさ、早く日本に帰りたいよ。そっちはまだ残暑が厳しいんだろうな』(あ、そっか。オーストラリアは南半球だから日本と季節が真逆になるんだっけ) 地球の反対側にあるオーストラリアは、日本と時差はほぼないに等しいけれど、その代わり季節が逆転しているのだと愛美は思い出した。クリスマスにサンタクロースが雪ゾリではなく、サーフボードに乗ってやってくるというのが有名なエピソードである。「そうなんだよね。明日から九月なのに、まだ真夏みたいに暑いの。純也さん、日本に帰ってきたら茹(ゆ)だっちゃいそう」『それは困るなぁ。でも、あと二、三日後には帰国する予定だから。仕事も立て込んでるみたいだしね。でも、どこかで予定を空けて愛美ちゃんに会いに行くよ』「うん! じゃあ、気をつけて帰ってきてね。わたしも明日からまた学校の勉強頑張る。あと、短編集のゲラのチェックもやらないといけないから、そっちも」『現役高校生作家も大変だな。でも、何事にも一生懸命な愛美ちゃんならどっちも頑張れるって、俺も信じてるよ。……夏休みの宿題はちゃんと終わった?』「大丈夫! 今年もちゃんと全部終わらせたから。――それじゃ、帰国したらまた連絡下さい」『分かった。じゃあまたね、愛美ちゃん。メッセージくれて嬉しかったよ』「うん」 ――愛美が電話を終えると、嬉しそうに笑うさやかと珠莉の顔がそこにはあった。二人は通話が終わるまでずっと、成り行きを見守ってくれていたようだ。「純也さんと無事に関係修復できてよかったじゃん、愛美」「お二人がギクシャクしてると、私たちも何だか落ち着かなかったのよねえ。だから、無事に仲直りして下さってよかったわ」「さやかちゃん、珠莉ちゃん、心配かけてごめんね。でも、わたしと純也さんはこれでもう大丈夫。見守ってくれてありがと」 思えば七月に彼とケンカをしてから、この二人の親友にもずいぶんヤキモキさせてしまっていた。彼女たちのためにも、こうして無事に彼との仲を修復できてよかったと愛美は思った。「――さて、一応形だけでも〝おじさま〟に報告しとかないとね」 あくまで愛美が「純也さんと〝あしながおじさん〟は別人」、そう思っているように彼には思わせておかなければ話がややこしくなる

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